創価学会は、釈尊に始まり、インドの竜樹・天親(世親)らの菩薩とたたえられた論師、中国の天台大師(智顗)・妙楽大師(湛然)、日本の伝教大師(最澄)、日蓮大聖人へと発展的に継承された仏教を信奉する教団です。釈尊以来の仏教の生命尊厳・万人尊敬という人間主義の正統な系譜に連なっています。
創価学会は、大乗経典のなかでも法華経に依拠し、日蓮大聖人が身をもって示された法華経の根本精神に則った信仰実践と活動を現代に展開しています。
仏教を開いた釈尊は、古代インドに王子として生まれました(生誕の地ルンビニーは、ネパールに位置している)。
若き日、生・老・病・死という免れられない人間の苦しみを目の当たりにし、今は青春の真っ只中で健康に生きていても、生・老・病・死は免れがたいことを知り、その根源の苦悩の解決法を探究しようとして出家しました。
釈尊は、王子として万人が羨む、満たされた境遇にいました。しかし、人々が求める贅沢さも所詮、はかなく空しいと知り、楽しむことはなかったと回想しています。
そこで、人間が生きる意味を明らかにする正しい思想・哲学を求めたのです。
釈尊は、伝統的な教えにも、また同時代の革新的な教えにも満足できず、瞑想修行によって、種々の苦悩の根本原因とその解決について探究しました。
そして、一人ひとりの生命、宇宙を貫く永遠普遍の〝法〟に目覚めたのです。
釈尊は、古代インドの言葉で〝目覚めた人〟という意味の「ブッダ」と呼ばれます。後に中国では漢字で「仏」「仏陀」などと表記しました。また、〝釈迦族出身の聖者〟という意味で「釈迦牟尼」「釈尊」ともいいます。
仏教の教えの中核は、この釈尊が目覚めた「法」です。
釈尊は、人々が、自己の本来的な尊厳性への無知から、自己中心的な目先の欲望にとらわれ、他の人を不幸に陥れても幸せになろうとするエゴイズムに覆われていると喝破しました。
そして、内なる永遠普遍の法に目覚めて、根源的な無知(無明)から解放された自己の本来の清浄な生命に立ち返る生き方こそ、人間が人間らしく生きるために必要な最も尊く優れたものであると教えました。
それは、内なる智慧の発現によって、無上の尊厳性を人間自身の生命に取り戻し、無限の可能性の開花を促す〝人間の価値の再生〟であったといえるでしょう。
釈尊は、自己の尊厳性を自覚することによって、他者の尊厳性を知り、尊敬することを教えました。これが「慈悲」の基本精神です。
釈尊は、ある大王に対して〝だれにとっても自分以上に愛しいものはない。自己を愛する者は他人を害してはならない〟と教えています。
仏教で説く〝慈悲〟とは、他の人も自身と同じように大切な存在であると知って、他の人を大切にすることであり、万人に双方向性をもつものです。
釈尊が五十年に及ぶ弘教の人生を終えて亡くなった後、釈尊のさまざまな言行が弟子たちによってまとめられていきました。
その中で、慈悲と智慧を根幹とする教えが大乗経典として編纂されていきます。その精髄が法華経であり、「経の王」とたたえられます。
法華経には、〝一切衆生を自分と同じ境涯に高めたい〟という釈尊自身の長遠な過去からの願いが、法華経を説くことで満たされたと説かれています。
さらに法華経は、釈尊の無数の弟子たちに対して、その永遠の願いを受け継ぎ実現していく慈悲の行動を繰り返し呼びかけています。