池田大作先生が未来部に向けて送られた励ましのことばを様々なテーマ別に紹介します。
【友情】
今回は私が、みんなに役立つ、友達をつくる「ひけつ」を教えましょう。
それは「自分から声をかける」ことです。
“人類の教師”といわれ、仏教を説いた釈尊も、仏のふるまいとして、自分の方から先に話しかける人でした。
はじめて会った人でも、同じ人間として声をかけていく勇気、そして相手が自分と意見や考え方が違っても「仲良くしていこう」と語り合っていく大きな心――これがあれば、必ず友だちができます。
(『希望の大空へ』より)
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人間だから、“好き嫌い”があるのは、当たり前です。仲が良いからこそ、ケンカしたり、激しくぶつかったりすることもあるでしょう。また、「ちょっと苦手だから」と距離をとっていても、何かのきっかけで、心が通い合う場合だってあります。
だから、ありのままでいいから、快活につき合ってみることだ。
試行錯誤を繰り返しながら、みんなと仲良く聡明に強調できる人格を、自分らしく、だんだんと鍛えていけばいいんです。
(『未来対話』より)
【勉学】
勉強ができるできないといっても、やるかやらないかだけなんだ。
勉強、勉強というと息が詰まる思いがするかもしれないが、実は小さな自分を打ち破り、広々とした世界へと解放してくれる。人生を明るくしてくれる。「学は光」です。
何があってもへこたれず、強く朗らかに学んだ人が、勝ちです。
(『未来対話』より)
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ともあれ、自分で自分を悪く決めつけてはいけない。人間の可能性というのは不思議なもので、自分は頭が悪いんだと決めつけると、本当に頭が動かなくなってしまう。「自分の頭脳は、ほとんど使っていないんだ。眠っているんだ。だから、努力すれば、いくらだって自分はできるんだ」と確信することです。事実、そうなのだから。
頭は使えば使うほどよくなる。いわんや、お題目をあげて、努力しぬいていけば、青年に不可能はないのです。
(『青春対話』より)
【夢】
戸田先生が言われていた。「青年は、望みが大き過ぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから、望みが小さいようでは、なにもできないで終わる」。
もちろん、何にも努力しなかったら、夢は夢で終わってしまう。夢と現実を結ぶ橋は「努力」です。努力する人は希望がわいてくる。希望とは、努力から生まれるのです。夢を大きくもって、走れるところまで走るのです。それが青春です。
(『青春対話』より)
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夢をかなえるためには、「勇気」を持つことです。「やってみよう」と思って、挑戦の一歩をふみ出す勇気です。
そして、思うようにいかないことが立ちはだかっても、へこたれず、あきらめず、努力をつらぬいていく勇気が、勝利の道を開くのです。
(『希望の大空へ』より)
【両立】
「忙しいから、できない」のではなく、「忙しいから、集中してやる」と決めることだ。勉強をやるべき時は、パッと心を切り替えて、挑戦するのです。
また、クラブを引退したら、人の二倍、三倍、勉強しなさい。「クラブで強くなった」自分を証明してみせなさい。
クラブも勉強も、両方をやりきった人は、苦しんだ分だけ、深い、広い、味のある青春になっていく。そして、後輩にも、「やればできるんだ」という希望を贈っていけるはずです。
(『青春対話』より)
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確かに両立は大変だ。でも、以前、一人の女子学生から質問を受けた時、私は、こう答えました。
「『二兎(=二匹のウサギ)を追う者は一兎をも得ず』と言われる。しかし、力があれば、百兎でも、千兎でも追ってごらん」
質問してくれた乙女の顔が、ぱっと明るくなりました。
みんなは若いんだから、それぐらい大きな心意気を持って、伸び伸びと自分の可能性を引き出してもらいたい。あれこれ迷っている前に、まず「やってみる」ことです。「どちらも、やり切ってみせる」と一念を定めて、祈り、知恵を湧き立たせて挑戦することです。そうすれば、試行錯誤し、悪戦苦闘しながらも、必ず道は開けてくる。
(『未来対話』より)
【家族】
どうして自分は、この家に生まれてきたんだろう。どうして、ほかの人のように、もっと両親が優しいうちじゃなかったんだろう。どうして、もっと立派な家で、もっといい家族に恵まれて生まれてこなかったんだろう。こんな家なんか出たい。そう思う人もいるかもしれない。しかし、自分は、この地球上の、この地の、この家に生まれてきた。ほかの、どの家にも生まれなかった。そこにすべての「ありとあらゆる意味」が含まれている。
仏法に偶然はない。必ず意味がある。だから、「ありとあらゆる宝」を自分は与えられたと思うべきです。
(『青春対話』より)
◆
お母さん一人ならば、お父さんの分まで二倍、大事にしてあげていただきたい。お父さん一人ならば、お母さんの代わりになって支えてあげてください。
親を亡くした友もいるでしょう。しかし、あなたの胸の中で生きておられる。御本尊を拝すれば、御本尊の中におられます。題目で結ばれています。いつも成長を見守ってくれている。みんなの努力に必ず大拍手を送ってくれているのです。
日蓮大聖人は、母を亡くした門下に、仰せになられた。
「我が父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり」(御書九七七ページ)
ゆえに、父母から授かった我が身を使って広宣流布に励む功徳は、そのまま、全て父母の生命に伝わっていきます。
君の勝利の姿が、父母の勝利の姿なのです。
(『未来対話』より)
【使命】
みんなが、違っていて、みんなが何かの「天才」なんです。それを「使命」という。だれもが自分だけの、自分にしかできない使命をもっている。使命があるから生まれてきたのです。そうじゃなかったら生まれてこない。
星を見てごらん。いっぱいある。無数の星がある宇宙の中で、「この地球」に、「この時」という時を選んで、君が、あなたが、生まれてきた。
それは絶対に「偶然」なんかじゃない。何か「意味」あるから生まれてきた。生まれてくることが「いいこと」だったから生まれてきたのです。
自分にしかできない「使命」があるのです。必ず、何かの「天才」なんです。今、それが何なのか、わからないだけです。
(『希望対話』より)
◆
使命とは「命を使う」と書く。生きている限り、わが命を何に使うか。追い続け、求め続け、決め続けていくのです。
それは、遠くにあるのではない。目の前の課題に全力で挑戦していけば、いつか、自分にしかない使命が、必ず見つかる。必ず、「自分の使命は、これだ!」と分かる。
(『未来対話』より)
【師弟】
嬉しい悲しい、楽しいつらい……心は常に揺れ動きます。青春時代は、なおさらだ。
御書に「心の師とはなっても、自分の心を師としてはならない」(一〇八八ページ、通解)とあります。
自分の心を中心に、わがまま放題に生きれば楽しいかもしれない。しかし、結局、心がいつも揺れ動いて迷走してしまう。
だから、揺るぎなき「心の師」をもつことが大切です。私の心には、常に戸田先生がおられます。今でも、毎日、対話しています。
先生なら、どうされるか、どうすれば、先生に喜んでいただけるか――。
心に、この原点があるから何も迷わない。何も怖くありません。
「師弟の道」とは、最高の「人間の道」です。正義の道であり、希望の道です。幸福の道であり、勝利の道です。
(『未来対話』より)
ここでは、未来部の広布史について、学んでいきましょう!
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未来部はいつからあるの?
未来部結成の第一歩として、「高等部」が結成されたのは1964年(昭和39年)6月。当時の日本社会は、青少年に精神的な空虚感が広がり、少年犯罪も増加傾向にありました。
池田名誉会長(当時・会長)は、日本、世界の未来を考え、青少年の育成に範を示していくことが学会の使命であり、社会的な役割の一つであるという考えから未来部の結成を提案。「本門の時代」の幕開けを、新たな人材の育成に力を入れることから着手したのです。
名誉会長は「みんなは目先のことしか考えない。しかし、30年後、40年後の学会をどうするのか。その時、学会の中核になっているのが、今の高校生です」(『新・人間革命』第9巻「鳳雛」の章)と――。その師の心を受け、青年部が本格的に未来部各部の結成へ取り組みました。
翌65年(同40年)1月に「中等部」が誕生。小説『人間革命』の連載開始と時を同じくしての結成となりました。また、同年9月、「少年部」が誕生。名誉会長の慈愛の励ましや「創作童話」などを通して、強くたくましく生き抜く心を育んでいったのです。
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5.5「創価学会後継者の日」って?
翌76年(同51年)5月5日、関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会で、5月5日の「こどもの日」を「創価学会後継者の日」とすることが発表されました。
「創価学会にとって『後継者の日』は、5月3日の『創価学会の日』につづく重要な日である。一切の建設は『人』で決まる。『人』といっても、若い世代に託す以外にないからである」(『大道を歩む』)
この名誉会長の思いのままに、未来部は毎年、「後継者の日」に誓いを新たにしています。師が“手作り”で築いた人材の城「未来部」――。その薫陶を受けた一人ひとりが、今、日本中、世界中のさまざまな分野で活躍し、民衆を守るリーダーとして使命の翼を広げているのです。