「信濃町」の歴史――総本部のある街

「信濃町」の名前の由来

今から400年ほど前、江戸幕府の重臣に永井尚政という人がいました。父の直勝は徳川家康に仕えた武将でした。

永井尚政イメージ絵

永井尚政は、今の総本部があるあたりの場所に大きな屋敷をかまえました。

それ以来、永井家は代々にわたって、徳川将軍家に仕えていくのです。

永井尚政は「信濃守」と呼ばれていました。明治になって武士の時代が終わると、永井家の屋敷があったことにちなんで、この一帯が「信濃町」という名前になったのです。

「信濃町」の立地

信濃町は、東京の中心近くにあって、交通が便利な上、周辺はとても緑が豊かです。

JRの線路をはさんだ向こう側には、木々の奥に、国のお客さまをむかえる迎賓館、信濃町駅前の道路の向こうには、外苑のイチョウ並木や、東京オリンピックのメーン会場として建設された「新国立競技場」もあります。

迎賓館の絵

学会本部の移転

戦後間もない1946年から、創価学会の本部は、東京・西神田にある戸田先生が経営する出版社の2階にありました。

信濃町にあった2階建ての洋館に移ったのは、戸田先生が第二代会長に就任して2年半後の、1953年11月のことでした。

やがて池田先生の指揮のもと創価学会は大きく発展していきます。それにともなって、聖教新聞社や創価文化会館(当時)、民音文化センターなどの建物が、信濃町に建設されました。

2013年には、信濃町に広宣流布大誓堂が完成。毎日、日本中、世界中から同志が集い、「広宣流布」「世界平和」を誓う、広宣流布誓願勤行会が開かれています。

広宣流布大誓堂の絵

地域との絆

学会は、どこにあっても、地域を大切にし、地域とともに栄えていく。これが、池田先生が常に実践してきた信念です。

池田先生夫妻も、信濃町に暮らしています。先生は、信濃町の地域を大切にしてきました。

聖教新聞社の近くに住んでいたウクライナの大使夫妻とも、友情を深めました。

地元のいろいろなお店の方々とも「こんにちは」「学会員が、いつもお世話になっています」「きょうは何が売れていますか」と、日ごろから親しく接してこられました。

信濃町の商店会から「町内で盆踊りをやりたいのですが」と相談を受けると、先生はすぐに協力を約束し、1985年から毎年、聖教新聞社の前庭で「信濃町ふるさと盆踊り大会」が開かれるようになりました。

(2015年からは、創価学会の駐車場で開催)

盆踊りの絵