折伏とは「真実を語る」ことです。法華経は真実を説いているので「折伏の経典」と呼ばれる。末法においては、法華経の真髄である「南無妙法蓮華経」のすばらしさを語り、広げていく行動は、全部「折伏」です。(中略)
大切なことは「真心が通じますように」との祈りです。祈りから智慧も生まれる。確信も、歓喜も生まれる。
大変だけれども、その人が必ず幸せになり、自分も幸せになっていくことを思えば、これほど「楽しい」こともない。(『普及版法華経の智慧(上)』)
多くの人が、「自分だけの幸せ」しか考えないような世の中である。
その中で、自分自身が、さまざまな苦労を担いながらも、悩める友の声に耳を傾け、励ましておられる。懸命に、広宣流布のために行動し、折伏をしておられる。それが、どれほどすごいことか。(中略)
「私は幸福だ。最高の妙法を持っているから」
この大確信で、仏法を語ればよいのである。
現在の境遇がどうあれ、妙法を唱え、弘めゆく人は、すべて仏の使いである。はかりしれないほどの大福徳を積み、永遠の幸福への直道を歩んでいることを誇りにしていただきたい。(『池田大作全集93』)
聖教新聞の拡大も弘教に通じる。
「文字は是れ三世諸仏の気命なり」(御書381ページ)――(経文の)文字は、三世諸仏の命である(と天台は言っている)――
妙法を根底にした聖教新聞にも通ずる御言葉と拝される。
「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」(御書153ページ)――仏は文字によって民衆を救われるのである――とも仰せである。
仏法の世界の「文字」には人を救う力がある。人を救う文字であり、新聞なのである。
さらに御書では、涅槃経を引かれている。
「願わくは諸の衆生悉く皆出世の文字を受持せよ」(御書153ページ)――願わくば、もろもろの衆生よ、ことごとく、みな、出世間の文字(仏法の世界の文字)を受持せよ――
戸田先生が、「聖教新聞を日本中、世界中の人に読ませたい」と言われたのも、このお心からであった。
「人を救う文字」を広める。配達する――その方は、立派な弘法をされていることに通じる。
功徳も生々世々に続き、また家族にも及んでいく。(『池田大作全集84』)