5月の広布史
創価学会の日
師弟を貫く“出発の日”
5月3日は「創価学会の日」です。それは、1951(昭和26)年のこの日に、戸田城聖先生が第二代会長に就任し、9年後(1960年)の同じ日に、池田大作先生が第三代会長に就任したことに由来しています。
戸田先生が就任した当時の会員数は約3000人でした。そうした中、戸田先生は、自身の就任式で“75万世帯の弘教の達成”を宣言したのです。
「もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、(中略)遺骸は品川の沖に投げ捨てていただきたい」。烈々たる気迫に、参加者は息を飲むばかりでした。
しかし、若き日の池田先生はただひとり、会場の片隅で師の誓願の実現を深く決意。弘教の先頭に立ち、あらゆる戦いを勝利で飾り、75万世帯達成の原動力となったのです。
しかし、若き日の池田先生はただひとり、会場の片隅で師の誓願の実現を深く決意。弘教の先頭に立ち、あらゆる戦いを勝利で飾り、75万世帯達成の原動力となったのです。
歴代会長の“誓願”に続く5.3
“75万世帯の弘教”という願業を果たした戸田先生が逝去された2年後、池田先生が第三代会長に就任します。「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらせていただきます!」との力強い第一声の後、恩師・戸田先生の7回忌までに300万世帯の弘教達成を誓ったのです。 若き会長の師子吼に、学会員は相呼応して、怒濤の大前進を開始します。そして、2年後の1962年11月に300万世帯の弘教が達成されました。 第二代会長戸田先生、第三代会長池田先生が打ち立てた“広布の金字塔”は、世界への仏法流布の原動力となり、現在の世界192カ国・地域に及ぶ創価の友の連帯が築かれました。
5.3は「創価学会 母の日」
1988(昭和63)年4月27日、第1回全国婦人部幹部会の席上、婦人部の新出発にあたって、池田先生は次のように提案しました。「学会でもっとも大切な記念日である『5月3日』を『創価学会母の日』としたい。そして6月10日の『婦人部の日』とともに“広布の母”である婦人部の皆様を最大に讃え、その労を顕彰する日としてはどうか」日夜、家族のために尽くし、家庭を守り、さらには広宣流布のため、世界の平和のために奮闘する婦人部の友に最大の賛辞をおくりたい——。この池田先生の思いから、出席者全員の賛同によって「創価学会母の日」が制定されました。池田先生はさらに、「時代感覚にマッチした、明るい、鮮やかなデザインの旗を、まず婦人部から作ってはどうか」と、三色旗に白ゆりの紋章を配した「新婦人部旗」の作成も提案しました。創価学会の永遠の発展を慶祝する5.3は、草創期から学会の最前線で拡大の“主役”を担ってきた、“広布の母”を称える日ともなったのです。