10月の広布史
世界平和の日
「新しき歴史を、この手で」
10月2日は「世界平和の日」です。1960(昭和35)年のこの日、第三代会長池田先生は初の海外指導の旅へと出発します。SGI(創価学会インタナショナル)は今日、世界192カ国・地域へと拡大していますが、その旅立ちとなったのが、まさしくこの日だったのです。
「新しき歴史を、この手で、断固、開くのだ」。世界広布への旅立ちを前に、32歳の池田先生の胸には決意の炎が燃え上がっていました。世界への広宣流布は日蓮大聖人の御遺命であるとともに、第二代会長戸田先生から託された使命でもありました。
戸田先生は逝去の直前、池田先生に対して次のように語っています。「君の本当の舞台は世界だよ」「世界へ征くんだ」と——。機上の人となった池田先生の胸のポケットには恩師・戸田先生の写真がありました。
戸田先生は逝去の直前、池田先生に対して次のように語っています。「君の本当の舞台は世界だよ」「世界へ征くんだ」と——。機上の人となった池田先生の胸のポケットには恩師・戸田先生の写真がありました。
一人ひとりを全力で激励
池田先生の初めての海外訪問は、アメリカ、カナダ、ブラジルの3カ国9都市を24日間でまわる厳しい旅程でした。そこには、同志も少ない土地で健気に信心を続けてきた日本からの移住者や日系人など、少数ながらも学会員がいました。池田先生はそんな一人ひとりを全力で励まし、信心の楔を打ち込んでいきました。世界の広宣流布という壮大な目標から見ると、きわめて地道な戦いではありましたが、“一人の蘇生なくして世界広布の実現はない”と、池田先生は焦らず着実に歩みを進めたのでした。
旅の途中、池田先生が体調を崩し、同行幹部が海外激励行の中止を進言することもありました。しかし、池田先生は「もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!」と語り、同志の待つ地への訪問を続けたのでした。池田先生は次のように記しています。「新しき開拓に、困難と労苦が伴うのは当然である/それを突き抜ける炎のような覇気と闘争によってのみ、広布の開拓はなされるのだ」
この言葉どおり、池田先生の命を削った激闘によって、世界広布への大道が開かれ、仏教史上かつてない現在のSGIの発展へとつながっていったのです。
世界広布への戦いは、会長就任の日から
1960(昭和35)年5月3日、第三代会長に就任したその日、池田先生の自宅では、次のような会話が交わされたといいます。
会長就任のお祝いとして、記念の品を贈ろうとする香峯子夫人に対し、池田先生は大きくて丈夫な旅行カバンを希望します。「そんなに大きなカバンを持って、どこにお出かけになりますの」と問う香峯子夫人に、池田先生は「世界をまわるんだよ。戸田先生に代わって」と答えました。
世界広布への戦いは、実に会長就任のその日からスタートしていたのでした。
その日から5カ月後の10月2日、池田先生は初の海外訪問に出発します。旅立ちの日を10月2日に決めたのは、2日が戸田先生の月命日にあたるからでした(祥月命日は4月2日)。