8月の広布史
池田先生 入信記念日
第二代会長戸田城聖先生との運命的出会い
8月24日は、池田大作先生の入信記念日です。戦後間もない1947(昭和22)年のこの日、当時19歳だった池田青年は信仰の道に入りました。
その10日前の8月14日の午後8時ごろ、池田青年は、小学校時代の同級生に誘われて、東京の蒲田で開かれた学会の座談会にはじめて出席しました。
暗い夜道を抜けて座談会の会場に到着すると、部屋の中から御書(立正安国論)を講義する凛とした声が聞こえてきました。その声の主こそ、当時理事長だった第二代会長戸田城聖先生でした。
「この人なら信じられる」と決意
講義の終了後、人生に対する確かな答えを渇望していた池田青年は、一人立ち上がり、戸田理事長に「正しい人生とはなにか?」などいくつか質問をします。——青年の質問の一つ一つに、真剣に、明快に答える戸田理事長の確信に満ちた言葉に心を打たれた池田青年は、その場で即興の詩を朗唱しました。「旅びとよ/いずこより来(きた)り/いずこへ往(ゆ)かんとするか/月は 沈みぬ/日 いまだ昇らず/夜明け前の混沌(カオス)に/光 もとめて/われ 進みゆく/心の 暗雲をはらわんと/嵐に動かぬ大樹求めて/われ 地より湧き出(い)でんとするか」
池田先生は当時を振り返り、つづっています。「この時、私は深遠な仏法の哲理を、十分に納得できたわけではない。家族も大反対であった。ただ私は、表層の次元を超克して、戸田城聖という人格に魅了されてならなかったのである」
その10日後の8月24日、池田青年は創価学会に入信しました。
平和への熱き思いで結ばれた師弟
池田大作先生の青少年期は、その戦争体験を抜きに語ることはできません。
4人の兄を兵隊にとられ、池田青年は病弱だった体に鞭うって家計を支えるために必死で働きました。東京でも空襲が始まると、年老いた両親や幼い弟たちの手を引いて焼夷弾の炎をかいくぐりました。戦火を逃れて引っ越したばかりの家が、空襲で焼かれるという悲劇も一家を襲いました。終戦後、追いうちをかけるかのように届いたのは敬愛する長兄の戦死公報でした。「戦争の無残さは、津波のようにわが家を襲い、すべてをめちゃくちゃにした」「何のための戦争か」
戸田理事長と出会い、戸田理事長が戦時中、軍国主義に抵抗し投獄され、信念を貫いたことを知った池田青年。その事実は、宗教に入ることへの抵抗感をぬぐえなかった青年の背中を押しました。「これは決定的な要素であった。二年間の獄中生活に耐え、軍国主義思想と戦った人物には、信念に生きる人間の崇高さと輝きがある」
青年の心に燃え上がる戦争への怒り。それを確固たる信念へと高め、のちの池田先生の平和へのたゆみなき行動を方向づけたのは、ほかならぬ、生涯の師との出会いであったのです。