祈り 勤行・唱題

祈りは、目的を成就するための“エンジン”

「勤行をしているが、祈りがなかなか叶わない」という人がいます。そういう人の話を聞いてみると、“祈れば何とかなる”と思って努力を忘れていることが多いようです。

「祈りとして叶わざるなし」の信心ですが、同時に「仏法は道理」です。現実の生活、仕事、また勉学などにおいて願いや目標を叶えるための努力をしないで、祈っていればいいと安易に考えるのは間違いです。努力した延長に、祈りは叶うのです。言ってみれば、祈りとは、努力し、目的を成就させていくための“エンジン”なのです。

さらに、その時は思うような結果にならない場合があったとしても、後になってみると、一番良かったという方向になっていくのが信心の功徳です。

御本尊の功徳には、「顕益」と「冥益」の二つの利益があります。

顕益(けんやく)

顕益とは、直面する眼前の苦しみ、悩みが解決するなど、生活の表面にあらわれ、はっきりと分かる利益のことです。例えば、信心をして、前向きに治療に取り組んで病気が治ったといった利益です。

冥益(みょうやく)

これに対して、冥益とは、若木が年月を経てやがて大樹と育つように、たゆみなき信仰実践のなかで、三世にわたる永遠に崩れぬ福運を積んでいくことです。何年間か長い目で見た場合には、厳然と変革があり、幸福になり、人格的にも成長し輝いていく利益のことです。

大聖人は、「正法を受けるのは簡単だが、たもっていくことは難しい。成仏はたもち抜いていくことにある」(御書1136ページ、趣意)と仰せです。

大切なことは、祈りを続けることです。祈りを続ければ、祈った分だけ、功徳に包まれ、幸福の軌道へと自身を導いていくことができるのです。

「持続」にこそ、生命の変革である成仏があるのです。この生命の変革が冥益の究極なのです。